交通事故によって、胎児が死亡した場合の損害を判断した裁判例を紹介します。
東京高裁昭和56年3月25日判決
交通事故の被害者である女性が、事故の影響をおそれて妊娠中絶手術をした場合の手術費用が損害に当たるか?が問題になった事案です。
事案の概要
控訴人は、Aとは昭和50年5月に結婚する2か月位前から同棲し、同51年11月離婚するまで男女関係をもっていたところ、同年5月18日本件交通事故にあい、整形外科病院で診察を受け翌19日同病院に入院し、事故による「頸椎捻挫」の治療を受けるに至ったが、入院直後は妊娠の自覚症状がなかつたものの同年6月に入って生理がなく、同月末頃ムチ打ち症の治療のため首に注射をしてもつわり様の嘔吐を催すことがあり、同病院の内科の医師に診てもらった結果妊娠ではないかということで、同年7月末、産婦人科医院の診察を受けたところ、「妊娠三ケ月重性妊娠悪阻」と診断された。一方、整形外科病院では専門医の合議のうえ、交通事故による受傷(頸椎捻挫)の治療を受けながらこのまま妊娠を継続し分娩をすることは、母体の健康上精神的、身体的にも著しく悪影響が予想され、又出生児に対して奇形児発生のおそれがあると判断された。そこで同病院の勧めもあり、やむなく控訴人は同年8月3日産婦人科医院に入院し人工妊娠中絶の手術を受け、同月5日まで入院した後、再び整形外科病院に復院し、同月8日には、産婦人科医院に通院治療を受けた。
裁判所の判断
裁判所は、以下のとおり、中絶費用とその慰謝料を損害として認めました。
控訴人が「妊娠三カ月」と診断されたのは昭和53年7月末産婦人科医院で診察を受けたときであることが認められるが,そのことから直ちに妊娠した日が本件事故日(昭和52年5月18日)の後であったと断ずることは早計に過ぎるといわざるをえず、むしろ前記認定事実に徴すれば、事故前の妊娠の可能性もこれを否定しえないが、かりに事故後早い時期に懐胎したものであるとしても、元来妊娠は夫婦間の自然の営みにより日常おこりうる出来事であり、社会通念上も被控訴人主張の如き義務が一般に肯認されているとはいい難いから、事故前に妊娠していた場合はもちろんのこと、事故後に妊娠したと仮定しても、なお、妊娠中絶による控訴人の損害が本件事故により通常生ずべき損害の範囲内にあることを否定しえないというべきである。
被控訴人は控訴人に対し、本件妊娠中絶の治療費6万1,180円及び入院雑費1,800円を支払うべき義務があるものといわねばならない。そして前掲各証拠によって認められる本件事故の態様・程度、本件受傷の部位・程度、後遺症の有無・程度、整形外科病院及び治療院での治療の経緯に、前記認定の産婦人科医での妊娠中絶の手術等の治療を勘案しその他本件に現われた一切の事情を斟酌すると、本件事故による控訴人の精神的苦痛を慰藉するためには、慰藉料220万円のほかに、さらに妊娠中絶関係慰藉料として10万円を加算するのが相当である。