政府保証事業の消滅時効の起算点を判断した最高裁判決を紹介します。
最高裁平成8年3月5日判決
ある者が、交通事故の加害自動車の保有者であるか否かをめぐり、争いがある場合の政府保証事業の消滅時効の起算点が問題になった事案です。
事案の概要
上告人は、昭和59年3月24日午後6時55分ころ、鳥取県内の路上を歩行中に自動車に衝突された。当該自動車は、そのまま走り去り行方不明となった。上告人は、本件交通事故により入院治療240日、通院治療3か月を要する左脛骨膝関節内骨折、顔面挫創等の傷害を受け、昭和60年2月2日に症状固定し、左膝の関節や外貌などに後遺障害が残った。
Xは、本件交通事故直後の午後7時前ころ、相当程度酒に酔った状態で自動車を運転して本件交通事故現場付近に所在する自宅に帰り、そのまま寝入った。Xの妻は、Xが飲酒運転をしてきたこと、Xの自動車を見分したところ軽度の損傷がみられたこと、救急車のサイレンを聞いたことから、Xが交通事故を起こしたのではないかと心配して現場付近を捜査中の警察官に届け出た。警察は、Xを業務上過失傷害事件等の被疑者として捜査を開始した。Xは、本件交通事故当日以来一貫して司法警察員及び検察官に対して本件事故当時の記憶がないと供述したが、昭和59年4月23日付け司法警察員に対する供述調書及び同60年2月4日付け検察官に対する供述調書においては罪を認める旨の供述をし、その間二度にわたり上告人を見舞って謝罪し、見舞金を送った。しかし、Xは、昭和61年2月27日、業務上過失傷害事件については嫌疑不十分のため不起訴処分となった。
上告人は、Xの締結した自動車損害賠償責任共済契約に基づき農業協同組合から治療費相当額の給付を受けていたが、昭和61年2月27日にXについて不起訴処分がされたことにより治療費の給付を打ち切られ、その後農業協同組合に対して責任共済契約に基づき後遺障害による損害賠償額の支払も請求したが、同年5月8日に支払を拒絶された。上告人は、Xが本件交通事故の加害車両の保有者であると考えていたため、昭和62年1月20日にXを被告として本件交通事故による後遺障害に係る損害賠償として522万円の支払を求める訴えを鳥取地方裁判所に提起した。同裁判所は、同63年12月23日、Xが本件交通事故の加害車両の保有者であるとは認め難いとの理由で上告人の請求を棄却する旨の判決を言い渡し、判決は昭和64年1月6日の経過により確定した。
自動車安全運転センターが上告人の症状固定後に上告人に対して交付した本件交通事故についての交通事故証明書には、Xが事故当事者として記載されていた。本件交通事故の加害車両の保有者は、現在のところ明らかでない。
上告人は、平成元年2月6日に政府に対して本件規定に基づき後遺障害による損害のてん補の請求をしたが、同2年2月6日に消滅時効の完成を理由に請求を却下する旨の通知(同年1月24日付け)を受けた。
最高裁の判断
最高裁は、ある者が交通事故の加害自動車の保有者であるか否かをめぐって争いがある場合、自賠法3条の損害賠償請求権が存在しないことが確定した時から政府保証事業の消滅時効は進行すると判断しました。
上告人の本件請求権が症状固定の翌日である昭和60年2月3日に権利の行使が可能となった旨の原審の判断は是認することができない。
上告人は、少なくとも昭和61年2月27日までの間にはXの締結した自動車損害賠償責任共済契約に基づいて治療費相当額の給付を受けていたものであり、責任共済契約に基づく治療費相当額の給付は、実質的には、Xによる上告人への治療費相当額の賠償金の支払と評価することができる。そうすると、他に特段の事情の認められない本件においては、Xは、上記の期間中には上告人に対する自賠法三条の責任を自認していたものと解される。したがって、昭和60年2月3日の時点においては、上告人の本件請求権は、本件規定の定める要件を欠くため、その行使が不可能であったといえるからである。
ある者が交通事故の加害自動車の保有者であるか否かをめぐって、右の者と当該交通事故の被害者との間で自賠法3条による損害賠償請求権の存否が争われている場合においては、自賠法3条による損害賠償請求権が存在しないことが確定した時から被害者の有する本件規定による請求権の消滅時効が進行するというべきである。
民法166条1項にいう「権利を行使することができる時」とは、単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上、その権利行使が現実に期待のできるものであることをも必要と解するのが相当である。
交通事故の被害者に対して損害賠償責任を負うのは本来は加害者であって、本件規定は、自動車損害賠償責任保険等による救済を受けることができない被害者に最終的に最小限度の救済を与える趣旨のものであり、本件規定による請求権は、自賠法3条による請求権の補充的な権利という性質を有する。交通事故の被害者に対して損害金の全部の賠償義務を負うのも加害者であって、本件規定による請求権は、請求可能な金額に上限があり、損害額の全部をてん補するものではない。
交通事故の加害者ではないかとみられる者が存在する場合には、被害者がまず右の者に対して自賠法3条により損害賠償の支払を求めて訴えを提起するなどの権利の行使をすることは当然のことであるというべきであり、また、加害者とみられる者に対する自賠法3条による請求権と本件規定による請求権は両立しないものであるし、訴えの主観的予備的併合も不適法であって許されないと解されるから、被害者に対して上記の二つの請求権を同時に行使することを要求することには無理がある。
したがって、交通事故の加害者ではないかとみられる者との間で自賠法3条による請求権の存否についての紛争がある場合には、加害者とみられる者に対する自賠法3条による請求権の不存在が確定するまでは、本件規定による請求権の性質からみて、その権利行使を期待することは、被害者に難きを強いるものであるからである。
本件においては、上告人とXとの間で本件交通事故の加害車両の保有者がXであるか否かをめぐって自賠法3条による請求権の存否についての紛争があったところ、上告人のXに対する敗訴判決が昭和64年1月6日に確定したので、上告人の本件請求権の消滅時効は、その翌日である同月7日から進行し、本件訴訟が提起された平成2年2月13日に中断されたことになるから、上告人の本件請求権が時効により消滅したということはできない。